東京時代を思い出しながら新宿通りを歩く

 今回の上京は高速バスを利用してのものでした。
 今、バスが新宿を出発したところですが、この時間の便の座席しか取れず、やむ無く乗っています。本当は今日は劇団の稽古があるのですが、私が稽古場に行けるのは16時近くになりそうです。

画像 バスの出発までの時間、何もすることがないので、40年近く前に演劇修行をしていた頃歩いた新宿通りを歩いてみました。

 当時、上京して直ぐの頃は、地下鉄丸ノ内線四谷三丁目近くの大京町に住んでいました。
 そこは、築地市場の蒲鉾問屋の社長のお宅で、私は劇団の先輩に紹介され、そこに住み込みで働きながら演劇の勉強をしていました。
 住まいに行く際の新宿通り四谷三丁目の目印・丸正の看板は健在でした!ヽ(^。^)ノ
 この分なら、40年近くの空白を越えて、社長のお宅へは簡単に着けると思ったのですが、途中下水道工事がされていて回り道をさせられたためか、とうとうかつて住んでいたところには行き着けませんでした。
 この辺は、歌舞伎の「東海道四谷怪談」の舞台となったところで、お岩稲荷のある左門町は大京町と隣り合わせです。当時のかすかな記憶を頼りに四谷三丁目から左門町、大京町と通りを歩き、見覚えのあるキリスト教会の看板やお店屋さんもあったので、改めて今年の秋にでももう一度行ってみようと思っています。

画像 さて、四谷三丁目から新宿東口方面へ歩いていくと、新宿四丁目との境に四谷区民センターがありました。
 多分、ここはかつて四谷公会堂だったところだと思います。
 蜷川幸雄さんが仲間と立ち上げた劇団「現代人劇場」が、四谷公会堂で「四谷怪談」を上演したのを見た記憶があります。蟹江敬三さん、石橋蓮治さん、緑魔子さん、また蜷川さん自身も役者として舞台に立っていました。脚本は記憶がないのですが、もしかしたら清水邦夫さんだったかもしれません。1971~2年頃の話です。
 公会堂の低い天井と、客席に花道を通した特設舞台が芝居を生々しくさせていたことを思い出しながら、新しい区民センターを眺めました。

画像 通りを更に進むと、やはり左手に「花忠」の店がありました。
 この店は知りませんが、「花忠」の六本木店へは、当時在籍していた劇団の公演パンフへの広告をもらいによく行っていました。
 「花忠」の広告は、私が飛び込みでお願いしに行った記憶がありますが、もしかしたら記憶違いかもしれません。
 六本木「花忠」は俳優座劇場の近くにあり、私のいた劇団の公演はほとんどが俳優座劇場を借りて行っていましたから、恒例でずっと協力してくれていたのかもしれません(^_^;)

画像 新宿御苑の入口を過ぎ、通りを更に新宿駅のほうへ行くと、右手には伊勢丹が見えてきます。
 写真は新宿通りと交差する南北の通りですが、映画や演劇において大きな影響を与えていた葛井欣士郎さんが支配人をされていた新宿アート・シアターとその地下のアングラ劇場「蠍座」が、確かこの通りの伊勢丹の反対側にあったと記憶しています。当時はもっと狭い道路だった気がしますが、何度か通ったことが思い出されます。

画像 新宿通りを更に進むと紀伊国屋書店があります。それこそここは、4階の紀伊国屋ホールでの観劇や、毎月1回行われていた無声映画鑑賞会、また5階だったか6階だったかにはカルチャーセンターがあり、そこのクロッキー教室など、しょっちゅう通っていました。
 特に、無声映画鑑賞会は大好きでした。松田春翠さんの活弁の名調子が今でも耳に残っています。

 東京へは、年に何度か芝居を観に行きますが、こんなふうに街を歩いたことはありませんでした。いつも劇団の子ども達の引率みたいなものなので、それも仕方ないのですが、今度はじっくり時間をとって一人で行ってみたいと思っています。

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