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zoom RSS 羽山神社の例大祭で20年ぶり(?)ぐらいに館山に登る

<<   作成日時 : 2018/04/30 17:37   >>

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画像 4月28日、羽山神社の例大祭があり、頂上にお宮が祀られている館山に登りました。記憶が定かではありませんが、たぶん20年ぶりぐらいかと思います。
 館山は、蘆名時代の出城・鵜ノ浦城があったところで、蘆名氏の家臣鵜ノ浦甲斐守が城主を勤めていました。大変急な斜面で、登り切るまでに、私は途中何度も休みながらおよそ20分もかかったでしょうか。かなり疲れました。羽山神社の祭礼は、年に一度、中田・鵜ノ浦集落の皆さんと上馬渡集落とで執り行っています。

画像 上馬渡の社総代は高齢のため、3人の内2名が登れないとあって、ご祈祷をいただいたあとの直会は、上馬渡天子神社の分院で行いました。
 この日は、大変暑く、私ばかりでなく登った皆さんが口々に疲れた≠連発していました。
 お疲れ様でした!

画像 左の写真は、2年前の湊小学校の運動会の様子ですが、奥に写っている山が羽山神社のある館山です。
 ネットを検索したら、鵜ノ浦城と羽山信仰のことがありましたので、参考までにコピーさせていただきました。


《鵜浦城》 弘安年間(1278-88)山口三郎重義が築城したとされ、天正年間(1573-92)初め頃には若松城主蘆名氏家臣鵜浦甲斐守が1万石を以て領した。黒川城の出城の一つとして、白河街道を押さえる役割を果たしていた。
 天正十七年(1589)伊達政宗は白河街道より会津侵攻を図り、鵜浦城を攻め落とそうとした。そこで戦上手な甲斐守は、木の樋から大量に白米を流し滝のように見せた。これを見た伊達勢は、これほど豊富な水源を持つ山城を攻め落とすのは容易ではないとして、猪苗代の湖上を渡って城の背後から奇襲し攻め落としたとされる。

《葉山信仰》 (世界大百科事典 第2版の解説) 東北地方南部を中心に分布する作神的性格をもつ信仰。葉山は端山,羽山,麓山などと記されるが,奥山や深山(みやま)に対する里近くの端山を意味する。多くは村はずれの山の上に小祠を設けてまつられ,祭神を羽山祇神,少彦名(すくなびこな)命とし,薬師如来を本地と説く。山形県村山市の葉山からの勧請(かんじよう)をいう社もあるが,葉山修験との直接の関係を示す史料は見いだせない。葉山信仰の特徴は作占における託宣儀礼にある。

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