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zoom RSS 弔辞 ――古川直義君の死を悼む

<<   作成日時 : 2018/01/03 19:22   >>

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     《 弔  辞 》

 古川直義君の御霊に対し、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
 直義君、あまりに突然なあなたの訃報に接し、友人一同、皆 声を失い、信じられない気持ちでいっぱいです。
 君に異変のあったことを私が知ったのは、十二月二十九日、午後二時過ぎのことでした。友人の古川芳憲さんから電話があり、あなたが倒れられ、病院に運ばれたそうだと知らされました。始め私は、君がこの日倒れられたものだとばかり思い、入院先にお見舞いに伺える状況かどうか確かめようと、君の携帯に電話を入れました。奥様がお出になられ、君が、つい先ほど亡くなったばかりだとお聞きし、呆然としました。君とは、その一月余り前の十一月十九日に、今年行う農業短大園芸科同級会について、渡部久敏君、秋津勝英君、渡部保雄君、私の五人で集まり、酒を酌み交わしながら、楽しく打合せをしたばかりだったからです。

 君には、農業短大園芸科で共に寮生活をしながら学んだ昭和四十四年、四十五年の二年間は勿論のこと、今日までいろいろな場面でお世話になりました。楽しい思い出ばかりです。
 農業短大時代には、君と秋津君、私の三人で詩を作るグループを作り、グループ名をアラビア数字の「3」と名付け活動したのが、私には最も忘れられない思い出です。毎月、互いに詩作を数編持ちよってガリ版刷りの詩集にし、毎週土曜日の午後、福島市の稲荷公園のまわりで首から看板をぶら下げ、恥も外聞もなく立ち売りした日々が懐かしく思い出されます。若いエネルギーの為せる業とはいえ、月に一冊のペースで詩集を作るなどという作業を、数ヵ月間よくも続けられたものだと思います。君にとってもかけがえのない思い出だったのではないでしょうか。

 農業短大を卒業する前から、私は東京の小さな劇団に所属していましたが、卒業してからは、君には、劇団の公演のたびごとに他の同級生と共に、鈍行列車で東京に舞台を観に来てもらいましたね。
 ある時、私が公演の打ち上げで遅くなって終電を逃してしまい、西武新宿線の新宿から中井まで線路伝いに歩いてアパートに帰ってきたとき、物陰から「もとお」と私に呼び掛けて、君や秋津君、久敏君や保雄君、そして今は亡き永島健吉君たちがぞろぞろと現われたときにはびっくりしました。同時に、友達は本当にありがたいと思ったものでした。

 また、私が、家業の農業を継ぐために会津に帰ってきてからは、私が立ち上げた劇団ゼロ群にも君は参加してくれました。ゼロ群は一度も本公演を行わないまま、四年間、朗読会、勉強会と銘打った試演会を繰り返しただけで解散してしまいましたが、三好十郎や岸田国士、福田善之や宮本研などの劇作家、また、いわきの詩人草野比佐男などの作品に、共に懸命に取り組んだことも忘れがたい思い出です。特に、君が演じた岸田国士の「命を弄ぶ男二人」での包帯の男は、本人でも気がつかない人間の心の二面性を、他者との対話の中で発見するという難しい役でしたが、苦労しながらもよく演じていたことが印象に残っています。
 ゼロ群解散後は、数年のブランクを置いて私が主宰した子ども劇団はんぷてぃ・だんぷてぃの舞台にも何度か足を運んでくれ、応援してくれました。

 五十代になってからは、会津の者達で時折、農業短大園芸科の同級会を行い、また、県全体での同級会も県北、浜通り、県中、会津と当番で行い、還暦同級会からは、同級生が誰がいつどうなるか分からないから、毎年行おうじゃないかという話になっていました。その還暦同級会の翌年には、北会津の永島健吉君が亡くなり、また東日本大震災、原発事故の影響で、しばらく同級会も出来ないでいましたが、飯舘村の佐藤長平君や南相馬の志賀詳一君が中心となり、二〇一五年に被災地の飯舘や南相馬、宮城の南三陸町を訪問する形で同級会が復活しました。そして、一昨年は、本宮の大沢和納君が企画したはとバスでの東京観光、隅田川の屋形船、歌舞伎座での舞台鑑賞を楽しみ、昨年は福島の樅山和一郎君、渡部敏明君、渡部伸裕君、国見の佐藤和男君達が、横浜と古都鎌倉巡りの旅を同級会として企画してくれました。

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                後列、左から3人目が古川直義君

 そして、今年は会津が同級会を企画する番になっていました。君も、楽しみにしていたはずです。
 誰がいつどうなるか分からない≠ニ言って始まった同級会ですが、永島君に続き、直義君、君までが帰らぬ人になろうとは、誰一人思いもしなかったことで、残念で残念でなりません。
 しかし、そのことはもう繰り返すまい。一番残念に思っているのは、君に違いないのですから。
 また、私たち以上に悲しみに暮れているのは、残された君の奥様を始めご子息の皆さんです。そのご心中を思うと慰めの言葉も見つかりません。直義君、どうか天の上から、大事なご家族の皆さんの行く末を見守ってやって下さい。

 私たちがそちらに行くのは、もう少し後になるでしょうが、君も好きだった酒を飲むときは、君を思い出しながら、あれやこれや、時には君が触れてほしくない話も酒の肴に飲んだりすることもあるでしょう。そんな私たちを、「しょうがねえ奴ら」だと笑いながら見ていていただきたいと思います。
 直義君、今まで本当にありがとう。お別れです。さようなら。

二〇一八年 一月 三日
昭和四五年度福島県農業短大園芸科卒業同期生代表   斎藤 基雄

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